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「尼僧は腕っぷし~街に地上げがやってきた」第1回●ホコテンに寝て、下から歩行者を眺めてみませんか?

1987年、日本は後に「バブル経済」と呼ばれることになる異常な好景気状態に向け、男も女も、政府も企業も全力疾走を始めていた。そんな中、29歳のフリーライターの主人公は鎌倉市大船の尼寺が暴力団による地上げに悩んでいる、という情報を得て取材を始める。


1回●ホコテンに寝て、下から歩行者を眺めてみませんか?


 土曜日の夕方、長すぎた昼寝を電話のベルに起こされた。

「もしもし。タカシナ・レナです」若い女だ。

「ああ、えーっと」

「高階レナです。覚えてませんか?」

「いやいや、覚えてるよ。レナちゃんだよね」本当は覚えていなかった。

「いや、絶対に覚えてない。そうかもしれないと思ったんだ。御厨さんていい加減そうだから」覚えのないやつから、いい加減な男扱いは腹が立つ。

「そう。その通り。いい加減だから覚えてない。覚えてないから電話を切るよ。じゃあね」

「待って待って。新宿の『パラディソ』のバーテンダーと言ったら思い出す?」頭の上に「当たり」の旗が立った、気がした。

 1カ月ほど前の9月上旬。俺は新宿西口、大ガード近く、青梅街道と小滝橋通りの交差点角のビル7階にあるバーに入った。その日、友人と線路沿いの小便横丁の焼き鳥屋でさんざん飲み、飲み足りなくてバー『パラディソ』に流れてきた。

 バーとは言っても、横にホステスが座っていろいろサービスしてくれる類の店じゃない。20席ほどある長いバーカウンターに何人かのバーテンダーがいる。全員若い女の子ばかりだ。俺たちが座ったエリアを担当しているのが、その高階レナだった。

◆◇

「やっと思い出した。レナちゃんか。店が終わった後、飲みに行こうって誘って、『ここはアフターはありません』てきつく断られたんだよな」

「はい。その通りです。御厨さん、酔っぱらい過ぎですよ。あれじゃ女の子、付き合わないと思うな」

「で、そのレナちゃん、なんで俺の電話番号知ってるんだ?」

「あのねえ、それも覚えてないんですか? 名刺いただいたでしょ。『みくりやなんて苗字、珍しいだろ、日本の神様が食べる食事を作る場所の意味なんだってさ』とかなんとかおっしゃってた」

「そお? そうなんだ。そうそう、思い出してきたぞ。レナちゃんはアルバイトだったね。昼間は新宿の事務機メーカーに勤めているって。一日中、新宿にいるって言ってたよな」

 白いYシャツの喉までボタンを留めて、黒いチョッキを着ていた姿を思い出しながら言った。バーテンダーの男装が妙に似合って可愛かった。

「住まいは高円寺です。それはともかく、御厨さん、明日時間あります?」

「空いてるけど、何かあるの?」

 レナはちょっと言いよどんでから、「あのお、新宿のホコテンに寝て、下から歩行者を眺めてみませんか?」と妙なことを言った。

「何のために?」

「視点を変えて人間を見てみたいと思ったことはありませんか?」。質問に質問で答えてくる。

「ないなあ。もっとも、泥酔してどこかの閉店した店の前で寝込んでいて、店の人間に怒鳴られた時は、下から眺めて、怒っている人間てこんな顔をしてるんだって妙に感心したことはあったね」

 レナはうれしそうに、「よかった。私が思った通りの人です。あの晩、御厨さん、お友達に、高校生の時に初めて新宿に来た話をうれしそうにされていました。東口の二光の前で、線路の壁には映画のイージーライダーがテレビで放映されるという広告看板が大きく出ていて、それが異常にカッコよかったって。わけも分からず『いいなあ』と思ったって。聞く気はなかったけど、私もいいなあと思って…」と言った。

「思った通りの人って何?」

「説明はむずかしいんですが、要するに直感です。インスピレーションです。この人なら分かってくれるんじゃないかって」。辛抱強く次の言葉を待った。

「すみません、要領を得ない話ばっかりして。ドキドキしちゃって頭の中がゴチャゴチャになったまま電話したのがいけなかったんです」深呼吸する音がした。

「私、高円寺にある小さな劇団に入っているんです。アングラ系のお芝居なんですが、私は全くの素人で、入ってまだ一カ月で全然お芝居なんかできなくて、劇団の主宰者から『お前はまず人間というものが全然見えていない。芝居をするうんぬんの前に人間観察をやってこい』と言われて、『どうやったら人間観察できますか?』て聞いたら、『自分で考えろ』て怒鳴られて、どうしようかと思った時に、いつもは絶対にしない視点で見ればいいんじゃないかと思って。ああそうだ、何で御厨さんなのかというと…」

「何人目?」

「はい?」

「頼んだのがさ」

4人目。あっ!」

俺は思いっきり吹き出した。

「いえ、その…」

「いいよ、別に何人目でも。了解。付き合うよ」

「ほんとに?」

「ほんとさ」

「よかった。ほんとは1人じゃ怖かったんです。だから…」

「でも、俺の前の3人も困ったろうね。変な頼みが来ちゃったなってさ。実を言うとまだ半信半疑だ。何か新手の勧誘じゃないかってね。新興宗教とかマルチ商法とかキャッチセールスとか」

「そ、そんなんじゃありません」レナは鼻の穴から太い息が噴き出るのが見えるくらいの勢いで否定した。

◆◇

 10月最初の日曜日、東京地方は快晴だった。レナとは午後2時にアルタの前で待ち合わせた。

どこまでがJRの前の広場で、どこからが通常の車道で、どこがアルタ前の歩道か全く分からないほどの人の数だ。人波を掻き分けてアルタ前にやっと行きついた。

 見回すと人ごみに埋もれていたレナらしき女の子の顔があった。アルタビルの隣の建物の入り口横だ。顔が見えたと思うと誰かの後頭部が顔を隠す。

見えたり見えなかったりするレナの表情は露骨に嫌悪を示している。その後頭部が両手でレナを挟んで、後ろの壁についている。逃げるのを妨げているわけだ。

 そのすぐ横でも同じような攻防が繰り広げられている。女の子は壁に手をついている後頭部に対して激しい言葉を浴びせているようだが、声は聞こえない。

 男たちは2人ともいわゆる美少年カット、つまり少年隊のようなヘアスタイルとDCブランドのダブルのスーツできめている。“きまってる”と当人たちは思っているんだろう。

俺は溜め息を1つついてから、レナの方に歩き始めた。

 すぐ近くまで寄っていくとレナが俺に気付いた。俺は人差し指を口の前に立てた。

 レナに覆いかぶさるように立っている若い男の右膝の後ろを、膝頭で押した。いわゆる“膝カックン”だ。男は足の支えを失いレナの胸元に顔を埋める形になった。

「キャー!」レナは嬌声を挙げて男を突き飛ばした。

 後ろ向きのまま俺の方にたたらを踏んできたので、俺は右に避けて男をやり過ごす瞬間、男の足に左足を引っ掛けた。バランスを失った男は地面に尻を落とした。自分に何が起きたか分からないようだ。

 これを見ていたもう1人の男が「何だ、お前は」と言いながら、俺の襟に右手を伸ばしてきた。それを左手で払って顔を相手の顔に近付けて小声で言った。

「おい、やめようや。彼女たちは俺の連れだ。それとも場所変えるか?」

「ふ、ふざけるなよ。だれがこんなブス…」

「ブスならナンパするな」

 正面から視線を当てた。しばらく睨みあったが先方から先に視線を外して、倒れて蹲っている相棒を促し雑踏の中に消えていった。

 レナは恐怖の表情のまま固まっているし、もう1人は世界を呪うような表情で消えた二人組の方を睨んでいる。

「よお、大丈夫か?」

 レナは半泣きの表情に変わったが、もう1人の女の子は睨んだ表情のまま俺を正面から見つめてきた。

「御厨さん、ありがとう。すごくしつこくて、どうしようかと思ったの。いつもなら無視して行っちゃうんだけど、横、腕で遮られてて動けないし」レナが震える声で言った。

◆◇

 もう1人の子がやっと口を開いた。

「御厨さん。『よお』っていう言い方、はっきり言ってあなたに似合わないわ。やめた方がいいと思うけど」

 何を言うかと思えば、俺の挨拶に対する注文だ。誰?と俺はレナに視線で問いかけた。

「あ、あの、劇団の仲間の新庄ともえさんです。私より5歳上の先輩です。今日、決行すると言ったら、付き合ってくれる男の人が心配だって…あっ、ごめんなさい」。

「ふーん。それで付き添ってきたわけだ。それから2人して強引なナンパにてこずっていたわけね。そして、助けた奴に対して、挨拶が似合わないっているアドバイス。ありがとうね。それじゃ俺、帰るよ」

 本気で帰る気でいた。2人に背を向けて歩き出そうとした時、「そんなことで腹を立てたの? 大人げない。私が帰るからレナに付き合ってあげて。一応、信用できそうだし、頼りにもなりそうだから安心した。それじゃレナ、またね」と、そのともえという女が立ち去ろうとした。

俺は聞こえないように舌打ちをしてから、「喉乾かないか。ともかく、何か飲もうぜ。あっ、『飲もうぜ』も下品な言い方だな。お茶でもいかがですか? ともえさん」と言った。

 紀伊國屋ビルの地下の喫茶店で3人ともアイスコーヒーを飲んでから、再びホコテンに繰り出した。

3人とも地面に寝転がってもいいような服装だった。俺はワークシャツに擦り切れたジーンズ、履き古した白のコンバースのローカット。

レナはグレーのトレーナーにジーンズ、素足にデッキシューズ。ともえはダンガリーシャツ、米軍放出らしきカーキ色のワークパンツ、同じく米軍放出らしきワークブーツだ。どっちも肩ぐらいの髪の毛を無造作にゴムで結んでいる。

 目の前を通り過ぎる若い女たちの中には、おてんとうさんが高いうちからワンレン、ボディコンできめている者が少なからずいる。彼女たちは伊勢丹の前で寝転んで空を眺めている俺たちを、薄汚れた野良犬を見るような視線で見ていく。

 何度か伊勢丹の警備員に追い払われたが、警備員がいなくなったのを見計らって、また寝転ぶ。それを繰り返した。

「でもさあ、さっきの2人、見る目だけはあったようだな」

「何ですか?」

「普通、君たちみたいな風体の女の子、ナンパしないだろ。どうしてもワンレン、ボディコンに誘われるわな。それが、しつこく君たちに言い寄った。かっこより中身ってことだろ?」

「御厨さん、案外、見る目がないんですかね。というか、洞察力がないというか」。ともえがまたきつい一発をかましてきた。

「あいつら、私たちの服装を見て、誘えばくっついてくると思って、食事をしてからホテルに行こうって言ったのよ。金があれば女は言うことを聞くと頭っから思い込んでいる馬鹿よ。そういう意味では、助けてもらってありがとうございました。お礼を言うの遅くなってすみません」

 今度はえらく素直だ。どっちがこのともえという女の正体なのか分からない。まあ、どっちもあるんだろうな。

「そういえば、レナちゃん…」

「レナでいいです」

「その、レナはさっき、ともえさん…」

「ともえでいいです」。そう言って、ともえがチロッと舌先を出した。照れているらしい。

「ともえはレナの5歳上って言ってたけど、俺、レナの年知らないんだよね」

「そうでした? 21歳です。だから…」

26歳。御厨さんは?」

「年明けてすぐに30歳。こういうふうに君たちが芝居の勉強でやっていることも、俺にはリアルなんだよ。会社を首になった三十路の男が、行き場を失って路上で途方に暮れている姿にも見える。リアリティーがあるんだよ」

2人は真剣に俺の言葉を聞いている。

 警備員がこちらに走り寄ってくる姿が見えた。

「そろそろここもおいとましなきゃ。おい、来たぞ」と2人に合図した。

〈第1回・了〉


by toshi2025asahi | 2025-09-09 09:42 | Comments(0)

フリーランスライター、旭利彦が書く小説。記憶の欠片を発端にストーリーは勝手に進んでいく。どこに行き着くか書き手も分からない。どうぞお楽しみに。


by shousetsuasahi